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泣いた 中央電視台アナウンサーの正体

連日続く地震報道。


中央電視台(CCTV)は24時間体制の報道を続けている。


現地と中継もつないで

スタジオのアナウンサーと被災状況を確認する。


日本では「中継」報道なんて日常茶飯事だけど


ここ中国では 中継報道はめったにしない。


だから 普段は 毎晩7時からの全国ニュースとかは


あらかじめ決められた原稿を読みあらかじめ用意されたVTRが流れる。


横から原稿を渡されて


時ニュースが入ってきました」


なーんてことは 絶対ない


ところが このたびの 地震


アナウンサーたちは 刻々と変わる情報と格闘しながら


ニュースを伝えていかなければならない。


そんなこんなの生放送中に起きた今回の事故。


現地で続く救出活動の映像に感極まった男性アナウンサー。


中央電視台は国営放送。


生放送中に。 なんてありえない。


ところが


 この「失態」が


ネットで話題になり


「批判」どころか


その「」への評価は高まる一方なのだ。





早速 動画を拝見 





おやおや なかなかのイケメンさん (゜ρ゜)




右上矢印これは動画じゃないよ


で 気になる彼を百度ってみました。





意外な経歴の持ち主でした。



名前は


趙普 1971年生まれ


生まれは 安徽省の小さな村。


お兄ちゃんとお姉ちゃんの3人兄弟の末っ子。


兄と姉の結婚の準備のため新しいベッドも買ってあげられないくらいの貧しい家庭。


16歳の趙くんは高校進学をあきらめ 北京のある軍に入隊。


あるとき新しい入隊生の歓迎会をしたとき 


趙くんは詩の朗読を披露


それがえらく評判になり 軍の放送部カラオケ


これがきっかけとなり いつしか  


アナウンサーになりたい


という夢を持ち始めたという。


3年の軍隊生活を終え 趙くんは


地元安徽省のアナウンサーに.....





まだです。注意


まずは


地元の国家体育館の警備員になります。


警備員からアナウンサー まだ道のりは険しそうです。


それから かれこれ1年くらい経って


チャンス到来 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!


地元で天気予報キャスターを募集していることを耳にします。



早速 テレビ局へ。


ところが


担当者は履歴書も見て冷たくこう言ったらしい。


「中卒なんてお話しにならないわぁ おほほ」


それでも食い下がる趙くん。


声も標準語もなかなかよろしい ということで


なんとか期限付きの採用が決まる。


間もなく 「臨時」から「正式」採用になり


趙くんは警備員を続けながら天気キャスターという生活をしばらく続ける。


でもやっぱり北京でアナウンサーになりたい。


そのためには アナウンサー養成大学に入らなければ。



家に帰ると アナウンサーになるために北京の有名なアナウンサー養成大学


「北京広播学院」を受験するための勉強を始める。


で めでたく 合格して今の彼が....


まだ まだぁぁぁぁあ 注意です。



お父さんが突然がんでこの世を去ります。


またその矢先


警備員を首になります。ガーン


二重ショックの趙くん 齢 24歳。


「世の中はなんて不幸なんだぁー」


と嘆く暇もなく 仕事探し。


天気予報のキャスターだけでは食って行けない(月収 200元〔3000円くらい〕)


でも見つからず 





全財産 2000元(3万円くらい)をはたいて 友達と洋服屋さんを出すことに。


お天気キャスターも洋服屋さんもなんとか軌道に乗る。 


でもあきらめきれない アナウンサーの夢。





あの憧れの北京広播学院が社会人入試をやるという知らせが。


これは チャンス!キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! と 申し込むが


試験まで4ヶ月あまり。


センター試験もクリアしなきゃいけない。


ということは 中卒の彼はたった4ヶ月で 高校の教育課程を勉強しなきゃいけないのだ。


ムリムリー という声のなか


4ヶ月間 あさ5時から 夜中の1時までみっちり勉強した24歳の趙くんは



昼間は 地元の高校3年生のクラスに編入して一緒に勉強したらしい。



その結果 


サクラサク 桜


めでたしめだたし~クラッカー


とはまだ なりません 


北京で大学に通うには


学費も生活費も全部自分でなんとかしなきゃ行けない。


それまでに貯めた8000元(10万円くらい)はあっという間になくなり


早速バイトを探す。


でも 見つからない。


で 趙くん どうしたかというと


学校近くの地下道で印鑑に名前を彫る店を出す。


店といえども 地べたに座り 


「印鑑ります」


と書いた紙を置いただけの簡素な物。


それを見かねた学校の先生が 趙くんに図書館の仕事を紹介する。


学校を卒業すれば もれなくアナウンサーの仕事につける訳ではない。


趙くんは 北京電視台で実習生として潜り込む。


でも アナウンサーの仕事はなく 


吹き替えの仕事ばかり。


年の瀬が迫り 趙くんは 考えた。


「年越しは絶対人手が足りなくなるはず。
ここにいれば チャンスが転がってくるかもしれない」


思った通り


年越しの現場レポートするレポーターとして初めてカメラの前に立つ。


そのレポートが好評価を得て 北京電視台でレギュラー番組を持つまでになる。


ここまでで 十分スゴイ グッド!


でも 趙くんは 現状に甘んじず


「アナウンサーの知識だけではなく制作側の知識があれば
もっと多面的なレポートが出来る」


と 北京電影学院(映画学校)で管理学を学ぶ。


2005年に北京電影学院を卒業する頃には


趙くんは既に20のレギュラー番組をこなしていた。


さらに 


趙くん いや 趙師匠は まだまだ 学びが足りない メラメラ


北京師範大学の大学院で勉強を始める。


北京電視台でアナウンサーを続けながらも


「アナウンサーの花形 国営放送CCTVのアナウンサーになりたい」


という 夢は膨らみ。


またまた チャンス到来 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!


CCTV主催のアナウンサー大会で見事 3位入賞。


2005年 こうして 彼は 夢のCCTVのアナウンサーになれたわけです。


齢 34歳。


貧しい家庭で生まれた中卒の男の子が

警備員 から CCTVのアナウンサーなれちゃうなんて。


なんとも 中国らしい。


これを書いてる間も 彼の地震中継が聞こえてきますテレビ


彼の名前を百度ってみたら blogがトップヒットしたから 


わくわく クリック ドキドキ






















同姓同名の人違いです ハートブレイク
























 































































 


























































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